ブラックマンデーの株価の研究

1987年10月19日に起きたNYダウの暴落(ブラックマンデー)の背景と日本への影響を学び、今後の投資の糧にしたい!

このように考えている個人投資家向けに、私が株の研究をするために学んだ中でも、実践で役立つ内容を中心に書きました。

基本的に、暴落は景気後退を招くことが多いのですが、中には実体経済に影響を及ぼすことなく、株価調整のみで終了するパターンもあります。

ブラックマンデーは、その典型的パターンと言える暴落でした。

株価の暴落の理由は、後で何とでも説明できるし、エコノミストや有名な予想屋の事前予想の暴落理由は当たった試しがありません。

暴落が定期的に訪れることをいいことに、コロナ前に暴落を予言していたマーケットの教祖や導師(グル)はいた(いつも暴落がくることを予言しているため)が、誰がコロナが理由で暴落することを当てただろうか、いや誰もいない。

株式投資で実際に利益を得るのに役立つのは、なぜ暴落が起きたのか追及することではなく、過去に起きた暴落前から暴落後の時代背景や起きた当時の出来事を肌感覚で感じ取って疑似経験を積むことだと思います。

ブラックマンデーがなぜ起きたのかも、様々な説がありますが、学問として追及するならともかく、株式投資の実践家にとって関係ないのです。

暴落について、後からこじつけて考えても、はっきりと分からない理由が現在進行形で分かるはずがありませんね。

株の利益は現在進行形で相場を読み解かなければ上げることができないのだから、いかに意味がないことが分かると思います。

そして、私は実際にマーケットでお金を張って利益を出し続けているトレーダー兼投資家であり、その目線から解説していきます。

もちろん、実績と取引した銘柄は、すべて公開しています。

参考記事:2020年5月から8月までの収支報告(4ヵ月ごとに公開)

それでは、解説していきますね!

ブラックマンデーで起きたこと

ブラックマンデーは、1987年10月19日の月曜日に香港マーケットを発端に世界の株式市場が暴落した出来事です。

NYダウは、1日で2246ドルから1738ドルまで508ドル下げ、下落率は22.6%と世界恐慌以来の下げを記録しました。

1985年から1988年のNYダウ工業平均株価のチャート
(出典:Yahoo!ファイナンス 米国版

日経平均株価も、その影響を受けて、1日で3,836円48銭安、14.9%の下落を記録しました(下記チャートの右端の方の押し目)。

1981年から1987年の日経平均株価のチャート
(出典:Yahoo!ファイナンス 米国版

しかし、NYダウが新高値を付けるまで1年8か月かかったの対し、日経平均株価は、次の日には、2037.32円(9.3%)の上昇を記録して、半年後には、新高値を形成しました。

NYダウも大底をつけるまで38%下落しましたが、経済への影響は、ほとんどなく、暴落が調整になっただけの珍しいパターンになりました。

1985年から1989年のNYダウ工業平均株価のチャート
(出典:Yahoo!ファイナンス 米国版

ブラックマンデーが起きる前の経済背景

1970年代のアメリカは、1965年のベトナム戦争軍事費増大から始まったインフレが続いており、FRBのインフレ政策とオイルショックによる資金需要によって株価は割安でした。

1980年代前半は、財政赤字+貿易赤字、さらに失業率が高いのにインフレが進む、スタグフレーションが進行。

当時のアメリカのレーガン大統領(任期:1981年から1989年)はレーガノミクスという経済政策をとっていました。

レーガノミクスは、政府規制の緩和により企業の活発化・成長を促し、個人所得を減税して、通貨供給量(マネーサプライ)を抑制してインフレを抑制することを目指した政策です。

また、軍事費以外の財政支出を抑えて、税収の落ち込みに備えました。

この経済対策により、企業収益が上昇して、長期の強気相場がはじまり、インフレが減速してきて、良好なマクロな経済になってきたわけです。

結果、1982 年8 月の777 ドルから1987 年8 月のピークには2,722 ドルまで上昇したわけですが、途中から株式市場は政策金利のコントロールが効かなくなり、ヒートアップしてバブルを生んだのです。

暴落からその後の状況

1987年8月には、金利が上昇してドル高が進み、徐々に、マクロ経済の悪化がでてきて、ついに、香港市場の暴落をきっかけに、1987年10月19日にNYダウが暴落しました。

投資マネーは、株式市場から国債へ移り、NYダウが高値更新するまで1年8か月かかりました。

きっかけ

暴落の発端は世界恐慌と同じように、バブルを生んだことにあります。

関連記事:世界恐慌の株価暴落から学ぶ株の研究【コロナショックと同じ?】

1987年3月には、米国の10年国債利回りは7%、6月まで8%まで上昇して、金利政策をとるも、歯止めが利かなくなり、もみ合いを上方ブレイクすると、9%まで上昇、その後、一旦、調整に入ったように見せて、再上昇したところで10%となりました。

そこが2番天井となり、大暴落したわけです。

当時の米国経済成長率 3.46%だったので、米国10年国債に成長率の2倍以上の金利がついていたことになります。

投資家たちも馬鹿ではありませんので、1987年の6月前までは、長期金利の行き過ぎに警戒していたこともあり、株価は調整と上昇を繰り返していました。

しかし、最後は、わずか2ヵ月ちょっとで20%上昇したのです。

10月の暴落までに下落のシグナルはあったのですが、中波動ベースの押し目にも見える形なので、バブルの天井追いの怖さが分かる場面です。

日本への影響について

日本株を取引している人なら、ブラックマンデーがいかに日本市場に影響を与えたのか気になるところでしょう。

現在の相場を張っている人なら、日本株は弱いから二番底がいつきたんだろう?といった疑問を抱いているかもしれません。

しかし、当時の日本株は、いわゆる”最強”でした。

バブル成長期で、経済は右肩上がり、モノを作れば売れるし、安泰の終身雇用制度、そして、株は買うもの、長期投資すれば、どんどん増えていくと信じられていた時代です。

よって、ブラックマンデーは、日本市場にとって非常に限定的だったんですね。

もちろん、初日は、日経平均株価が3,836円48銭安の14.9%下落を見せましたが、半年後には、新高値をつけたのです。

1981年から1987年の日経平均株価のチャート
(日経平均株価 1981年から1987年、出典:Yahoo!ファイナンス 米国版

このように、人々のマインドが今と全く違う時代でした。

現在は、30年も続いたデフレの影響で人々の心の根底が変わってしまって信じられないかもしれませんが、当時の熱狂感、株は買うものであり、常に右肩上がりの成長があると信じされていた時代が日本にもあったことを前提に考えた方がいいのです。

それは、まるで現代のNYダウと日経が逆転しているかのように。

ブラックマンデーで日本のとった政策は金融緩和とマネーの供給であり、1986年頃に始まっていたと言われるバブル途中の絶好の押し目となったのです。

世界恐慌のときと違うこと

1929年の世界恐慌前は、バブルの状態が5年続いた後の暴落でした。

また、ブラックマンデーのときは、世界恐慌の教訓から、信用規制の制度ができていたり、証券取引委員会や銀行預金保証制度などができていました。

このように、人というのは、過去にあった出来事から学ぶことができる生き物なので、現在直面する暴落と過去の暴落を比較するとき、そういった面を考慮しなければならないのです。

よく、何かあるとすぐにブラックマンデーやリーマンショックと比べたがる人がいますが、チャートだけでは分からない時代背景やシステムを知っておかなければ、ただ単に恐怖を煽られるだけなんですね。

そして、ブラックマンデーのとき、人類が直面していなかった危機もありました。

それは、取引所が決済不能、取引停止に陥ったことです。

短時間に、ものすごい量の売りがでて取引がストップしたのですね。

こういったことから、アメリカでは、サーキットブレーカーというシステムができました。

日本では、サーキットブレーカーはありませんが、特別気配や連続約定気配の制度という類似制度が成立したのです。

結果

ブラックマンデーは、実体経済に悪影響を与えなかった稀な暴落でした。

暴落直後、当時の著名な経済学者は、今後数年間で、世界恐慌以来の経済悪化となることを予測したのですが、結果的に大ハズレということになります。

もちろん、当時の経済学の先端で活躍している方々が出した結論ですので、学問的にはベストな予測だったと思います。

しかし、我々、株式投資の実践家は、学者になりたいわけではありません。

よって、経済学とは別で考えなければならないのです。

エコノミストは、予測が外れてもお金が減らず、それどころか働いた分、報酬がもらえるでしょう。

しかし、株式投資の実践家は、予測が外れれば、明日から乞食なのです。

今回は、以上です。